能登半島震災の現地レポート

第1章:朝5時、エンジン始動。三重・伊賀から能登へ、一泊二日の旅のスタート

朝5時。まだ夜が明けきらない静かな中、車のエンジンをかけた

この旅は一泊二日。三重県の伊賀市から出発し、滋賀・福井を経由して能登半島へ向かうルートだ。前日は特に準備もせず、ただ「明日早いな」と思いながら早めに布団に入っただけだった。車中泊も長距離運転も慣れたもので、特に緊張もなく、自然な流れで朝を迎えた。

今回の旅は、ただの観光ではない。**能登半島の震災の爪痕を、自分の目で確かめたい。**そして、道中の温泉で心も体も整えながら、ゆっくりと現地に触れていく。そんな思いから始まった一泊二日の旅。

伊賀市を出て、滋賀を抜けて福井へ。そこからさらに北上して能登半島を目指す。高速道路はできるだけ使わず、下道でじっくり風景を楽しみながら走ることにした。最近の車中泊旅では、こうしてのんびり走るほうが性に合っている。

早朝の道は驚くほど静かで走りやすい。朝5時台は本当にスムーズに進めるが、7時台に差し掛かると通勤の車が一気に増えてくる。できるだけその前に都市部を抜けておきたいところだ。

コンビニでコーヒーとおにぎりを買って、軽い朝食を車内で済ませる。空が少しずつ明るくなり、琵琶湖の湖面が朝日に照らされてきらきらと輝く。走っているだけで気持ちがいい、そんな時間帯だった。

滋賀の田園風景、福井の山並みを眺めながら順調に北上。滋賀県から国道8号線を走っていったのだが、福井県に入っていくと、道幅も広く、片側2車線や3車線の区間もあって、スイスイと走れるような快適な道が続いていた。途中の道の駅では、地元の野菜などが並び、思わず立ち寄ってしまう。目的地は遠いけれど、こういう寄り道こそが車旅の醍醐味だ。

福井市街を通過。そこから少し北へ進んだ場所にある「越前たけふ駅」の前にある道の駅にも立ち寄った。走っている途中から、道の駅の案内看板がやたらと目に入り、「これは相当大きな施設があるのでは?」と興味が湧いてきた。近づくと、新しくて立派な北陸新幹線の駅舎が見えてきて、思わず立ち寄ることにした。

道の駅の開店時間にはまだ少し早く、館内の店はすべて閉まっていた。それでも駅と一体化した建物の規模や外観は印象的で、しばらく散策して写真だけ撮ってきた。人も少なく、静かな時間帯だったのもあり、ちょっとした発見に満足して車に戻った。

その後は、せっかく近くまで来たのだからと、行ったことのない加賀温泉郷のひとつ「山中温泉」と「山代温泉」方面へ車を走らせた。温泉街の雰囲気を車内から味わいながら流し、最終的には山代温泉の外湯「古総湯」に立ち寄った。

建物はレトロで風格があり、温泉街の中心にどんと構えていた。周囲には観光客らしき人々がそこそこ歩いていたが、湯に入っていたのはなんと自分ひとり。貸し切り状態の空間で、静けさと木とタイル張りの壁に包まれながら、肩まで湯に浸かる。これから向かう能登半島のことを、湯気の向こうにぼんやり思い浮かべていた。

湯上がりには再び車を走らせ、「道の駅めぐみ白山」へ立ち寄った。そこで目に入ったのが**「貝出汁ラーメン」**の文字。ちょうどお腹もすいていたので迷わず注文。透き通ったスープからは貝の旨みがじんわりと広がり、体に染みわたるようだった。味もボリュームも申し分なく、旅の途中の大満足な一杯となった。

その後、車はのと里山街道へ。海沿いを走るこの道は、眺めが素晴らしく、左手に広がる日本海の青さに何度も目を奪われたこの「のと里山街道」は気持ちよく走れてドライブにおすすめです。金沢方面に向かった際は、ぜひ見学というか走ってみてはどうでしょうか。今回は「なぎさドライブウェイ」には立ち寄らなかったが、それでもこの道の開放感と景色は十分に旅の醍醐味を味わわせてくれた

途中、小さな道の駅にも立ち寄り、静かな空間で数枚の写真を撮った。観光客もまばらで、どこか落ち着いた空気が漂っていた。大きくはないけれど、地元らしさが感じられる良い雰囲気の場所だった。

その後、能登自動車道(旧・自動車専用道路)に入り、さらに北を目指す。走り出してほどなく、震災の影響がはっきりと見えてきた

道路は対面通行になっており、本来片側2車線であった道の片側は閉鎖されている。路肩では崩れた崖の土砂を処理している最中で、重機が慎重に動き、人の手で少しずつ復旧作業が進められていた

能登半島の付け根に近づくにつれ、道がだんだん細くなっていく。時折現れる「通行止め」の看板や、「災害復旧中」の文字に、あらためて震災の影響を感じさせられた

第2章:震災の爪痕と向き合う道。揺れる道路、崩れた景色、能登の現実

さらに車を進めていくと、道はうねり、片側通行の区間が続き、ツギハギだらけの舗装が目立つようになってきた。反対車線ではアスファルトが波打つようにぐちゃぐちゃになっており、橋と道路の接合部には段差が生じ、小さな山のようになっているところもあった。まっすぐだったはずの道が突然カーブになっていたり、う回路の案内に従って狭い道へ誘導されたりする場面もあり、走り慣れているはずのドライブがまるでアスレチックのようになっていた。

道路の傾きも目立ち、右に傾いていたかと思えば、次は左へ。ハンドルを握る手に自然と力が入り、景色を楽しむ余裕もなくなっていく。鳥肌が立つような違和感のある道も多く、進むほどに「まだこんなに…」と呟かずにはいられない。

舗装こそなんとか整ってはいるが、それはあくまで**「とりあえず車が通れるようにした」応急処置のように感じた。路面の亀裂や不自然な段差、所々に見られる仮設のガードレールや簡易舗装。走っている間も「次にどこが崩れているかわからない」といった緊張感**が続く。

復旧の途中であり、**まだ始まりに過ぎない。**道路沿いに見える民家には、今なおブルーシートがかぶせられている家が多くあった。修理が追いついていないのか、それとも資材や人手の不足か、その理由まではわからない。ただ、**その青いシートの風景が、言葉よりも強く震災の爪痕を伝えていた。**震災から月日が経っても、なお癒えぬ傷跡。その現実が次第に視界を覆っていく中で、少しずつ能登の深部へと足を踏み入れていった。

能登自動車道を走り終えたあと、車は輪島方面へと向かった。途中、相互通行の信号にはAIが活用されており、「AI誘導中」の看板が設置されていた。従来の人力による誘導ではなく、AIがリアルタイムで車の流れを判断して信号を操作しているようで、複雑な片側通行も効率よく流れていた。まるで未来の交通システムを見ているような光景だった。

輪島市街に近づくにつれて、風景がさらに変わっていった。電柱や信号は明らかに傾いており、それがまるで”当たり前の状態”かのように町に溶け込んでいた。

道路には飛び出したマンホールがいくつもあり、応急処置としてその周囲にアスファルトが盛られて段差を抑えている様子も見られた。ガタガタとした感触がタイヤ越しに伝わり、注意深くハンドルを操作しながら進まざるを得なかった。

市街地に入る前の山道では、崖崩れの跡がいくつも目に入った。法面がむき出しになっている場所、ガードレールが宙に浮いたようになっている場所、そして道の両側に積まれた土砂や工事用のコーン。自然の力の大きさと、それに立ち向かう人の手の小ささを、嫌でも感じさせられた。

そんな中でも、ところどころには復旧作業にあたる作業員の姿があり、少しずつでも再生へと向かっている様子がうかがえた。

輪島市に入り、かつて観光客でにぎわっていた朝市通りの近くにあるバスターミナルのような造りの道の駅にたどり着いた。広めの駐車場に車を停めて、少しだけ街を歩いてみることにした。

少しずつではあるが、お店を開けているところも見かけた。新しい観光客の姿もわずかにあったが、シャッターが閉まったままの店舗や、壊れたまま手が付けられていない建物も目立っていた。よく見ると、傾いた家屋や、人が住んでいないとわかる家も点在している。歩いていると、見た目以上に町がまだ深い傷を抱えていることに気づかされる。

観光として訪れることにどこか後ろめたさを感じていたが、**実際に足を運ぶことで、今この町がどういう状態にあるのか、何が必要なのかを知ることができた。**静かな町の空気を感じながら、深く頭を下げるような気持ちで、再び車へと戻った。

その後、大規模な火災が起きた輪島朝市の跡地にも足を運んだ。かつて活気であふれていた通りは、一部がすでに更地になっており、焦げ跡が残る地面がぽっかりと空いた空間をより寂しく見せていた。

まだ手つかずの場所では、崩れた家々の瓦礫がそのまま残っており、火災で焼け落ちた木材や屋根の破片が道端に積まれていた。現場の痛々しさが肌で伝わってくる。

さらに海岸沿いへと車を進めていくと、住宅地のような一角に差しかかった。そこでは家の修理作業が行われていたが、**その前の道はマンホールが飛び出したままで、舗装もガタガタ。ハンドルをとられるような悪路に囲まれながら、「この状態で本当に修理ができるのか」**と思わず考えてしまった。

住宅の壁はひび割れ、足場が組まれているが、周囲のインフラは明らかに整っていない。住民の暮らしが戻るには、まだまだ時間がかかりそうな印象を受けた。

その後、堤防沿いに車を停めて、少し散策することにした。かつての海岸線に沿って歩くと、堤防の一部が明らかに隆起しており、かつての高さとは異なる段差が目に見えて分かる状態だった。

**ひび割れたコンクリート、波打つような舗装、そしてその向こうに広がる静かな海。**かつて海と人との距離を守っていたはずの構造物が、地震の力によって大きく姿を変えていた。足元を確認しながら歩くたびに、地面の変形が実感でき、自然のエネルギーの凄まじさに圧倒された。

そんな静かな光景の中、ふいに空を見上げると、**戦闘機のような機影が低空で轟音を響かせながら飛び去っていった。**一瞬何が起こったのか分からず、視線で追いかけると、もう一機が海上すれすれを滑るように旋回していく。

地震や火災、復旧作業の光景と、戦闘機の飛行という非日常が重なり合う不思議な光景だった。

堤防周辺には仮設住宅がずらりと並んでいた。整然と並ぶコンテナハウスの列は、今の能登の現実を象徴しているようだった。**小さな暮らしがこの一つ一つの箱の中にあり、それでも人は日常を取り戻そうとしている。**ご近所同士が階段で雑談をしている姿が見られ、その様子に、一瞬だけ「暮らし」が垣間見えた。音が消えたあと、あたりの静けさがいっそう際立ち、どこか現実感のない感覚だけが残った。

これまでニュースや映像で見ていた震災の姿とは、実際に現地を訪れて目にした現実はまったく違っていた。やはり「行ってみて実感できること」は大きい。もし機会があるなら、できるだけ早めに、自分の目でこの現実を見てほしいと強く思った。

そこからさらに車を北へと走らせ、珠洲市方面へ向かった。

道中の風景は、輪島で見たものと大きく変わるわけではなかった。道路の損傷、傾いた家屋、ブルーシートで覆われた屋根——そうした震災の爪痕が、珠洲へ続く道にも延々と続いていた。

ただ、珠洲市に入ってからは、それに加えて新たな異変を感じた。**かつてこの地域を襲った豪雨の影響が色濃く残っていたのだ。**地盤が崩れた斜面や、仮設の土のうで覆われた法面、ところどころに見える道路の陥没跡。

地震だけではない、重なる自然災害がこの地をさらに苦しめてきたことが、景色からはっきりと伝わってきた。

空は青く澄んでいて、海も穏やかだったが、その風景の中にある”静けさ”が、むしろ不気味なほどだった。

第3章:湯けむりに癒されて——和倉温泉へ

能登半島の北部をあとにして、車は再び能登半島道路へと戻った。同じ道を引き返しながら、朝に通った時とは違う感覚があった。今度は夕暮れに差しかかる時間帯。沈みゆく夕日が崩れた道路や傾いた建物に柔らかな光を落とし、まるで現実の風景に薄くベールがかかっているかのようだった。

行きと同じ道でありながら、**災害の痕跡がよりはっきりと見えてくる。**道路脇の斜面の崩れ、片側通行の区間、工事の照明が点灯し始めた現場。復旧への道のりの長さと、その中で少しずつ暮らしが動いていることを改めて実感した。

車はそのまま和倉温泉へと向かった。

到着した瞬間、ぱっと見た感じでは**「和倉温泉はあまり被害を受けていないのかな」と思った。**道路の状態もそこまで悪くなく、観光地としての風情もどこか残っているように見えた。

しかし、町を走ってみてすぐに、**その印象が誤りであることに気づかされた。**まず目に入ったのは、閉店している温泉旅館やホテルの数だった。ざっと見渡しても、営業している施設は半分もないように思えた。

車が少ないな」と思いながら進んでいくと、至るところでシャッターが下りたままの建物や、明かりのない旅館の建物が目に入り、観光地としての活気がすっかり失われているのを感じた。

かろうじて開いている施設の駐車場には、**観光客の車よりも工事関係者らしき車両が多く見受けられた。**大型駐車場もほとんど車が停まっておらず、あたりは静まり返っていた。まるで時間が止まったかのような町並みが広がり、どこか現実離れした感覚を覚えた。

そんな中、それでも温泉に入りたくて、地元の共同浴場「総湯」に立ち寄った。

建物自体は立派で新しさもあり、外観からは地震の影響をそれほど感じなかった。中に入ると、受付の方が静かに応対してくれ、館内も落ち着いた雰囲気だった。地元の人たちが数人、黙々と湯に浸かっていた。

浴室の窓から見える外の風景はどこか寂しく、そして静かだったが、湯に身を沈めると、ここまでの緊張と重たい空気が少しずつほどけていくのを感じた。湯の温かさが、身体だけでなく心にも染み渡ってくるようだった。

**「こういう場所が残っているだけでも、ありがたいな」**と思った。旅の途中、そして震災の現場を巡ってきた心に、ひとときの安らぎが訪れた瞬間だった。

和倉温泉のお湯は塩分が多く、湯冷めしにくいのが特徴だが、湯上がり後にそのままだと少しベタつきも感じたため、しっかり体を洗ってから出ることにした。

その後は館内の休憩スペースに腰を下ろし、**次に夕食をどこで食べるかを考える時間にあてた。**スマホを片手に、近隣の営業中の飲食店を検索しながら、いくつか候補を見つけては地図とにらめっこ。選択肢が限られている中で、「せっかくだから少しでも美味しいものを」と、静かな空間でひとり思案していた。

ところが、スマホで調べてみても居酒屋や地元の飲食店はほとんど営業していないことが分かってきた。地震の影響か、もともとの営業縮小かは分からないが、選べるほどの店は見当たらなかった。

**仕方なく、この日はチェーン店の「白木屋」で夕食を済ませることにした。**味は安定していたし、温かいご飯にありつけたことで少しほっとした部分もあったが、やはりどこか物足りなさも感じた。

せっかく能登まで来たのだから、地元の魚介を使った料理や地酒を楽しみたかったという気持ちが強かった。けれど、この状況では**営業している店があるだけでもありがたい。**そう思いながら、淡々と食事を終えた。

白木屋で飲んでしまうので、**トイレを確保するために近くのコンビニ横に車を止めておいた。**そのまま、そこの場所で今夜は車中泊をすることにした。コンビニの明かりがほんのりと車内に差し込み、周囲には同じように車中泊をしているような車が数台。

静かな夜の中、温泉と酒でほどよく火照った体を横たえ、ゆっくりと眠りについた。

第4章:朝焼けの湾岸から山へ

朝、コンビニの駐車場に差し込むやわらかな光で目を覚ました。夜は静かで、時折コンビニに立ち寄る人の気配がある程度。

夜明けとともに起きてしまった。深く眠れたとは言えないが、車内での一晩にしては悪くなかった。

コーヒーで頭を起こし、身支度を整えると、前日にあまり見られなかった和倉温泉の町をもう少しだけ見て回ろうと思った。前日は夕方に到着し、温泉と夕食を優先したため、町の様子を十分には見られなかったからだ。

車をゆっくりと走らせながら温泉街を回ってみる。かつて泊まったことのある思い出のホテルも、今はシャッターが閉まっていたり、建物の一部が足場で囲われて修理中の様子だったりと、震災の影響を実感させられる光景が広がっていた。

営業を続けている施設もあるにはあるが、街全体に以前のような活気はなく、静かで、どこか寂しさを感じさせる雰囲気だった。記憶に残っていた風景とのギャップが胸に響いた。

そして、まだ時間は早かったので、朝ごはんを食べに出かけることにした。**この日の朝食は、事前に決めていた「氷見の港で海鮮丼」。**しかし、まだ営業時間には少し早く、すぐには向かわずに、少し遠回りをして海岸沿いの道をゆっくりと走っていくことにした。

**富山湾を眺めながらのドライブは格別だった。**ちょうど朝日が昇りはじめ、海面に反射する光がきらきらと輝いていた。まるで幻想的な絵画の中に入り込んだかのような時間だった。

左側から差し込む日差しを浴びながら、**澄みきった空と静かな海、そしてほとんど車の通らない道を、心地よいペースでゆったりと進んでいく。**この旅の中でも、特に穏やかで、記憶に残るひとときだった。

**朝の冷たい空気の中、静かな海を横目にしながらのドライブは心地よく、車を走らせるごとに気持ちが整っていく。**地震の被害が少ない地域もあれば、ところどころで壊れた護岸や修復中の施設が見える場所もあり、現実を思い出させてくれた。

**朝の光が波に反射してきらめく海を眺めながら、「この風景が変わらずにあることも、すごく大切なことだな」**と、そんな思いが湧いてくる。

そして、そろそろちょうど良い時間になったので、氷見の港の食堂へと車を向けた。

その食堂は市場の建物の2階にあり、建物の外観は少し年季が入っていたが、中に入ると清潔感があり、朝から活気のある雰囲気が漂っていた。階段を上っていく途中、下の市場の様子が見下ろせるようになっていて、ちょうどその時間、競りの真っ最中だった。

威勢のいい声が飛び交い、新鮮な魚が次々と取引されていく様子をしばらくの間、興味深く眺めていた。

その光景がとても印象的だったので、思わずスマホで何枚か写真を撮った。普段の生活ではなかなか見られない、港町ならではの臨場感ある朝の風景が、旅の思い出として心に刻まれた瞬間だった。

お店の中に入ると、朝の7時だというのに**すでに多くの観光客でにぎわっていた。**人気店であることがうかがえる。席に着き、海鮮丼を注文した。新鮮なネタがふんだんに盛られた丼は、見た目にも美しく、一口ごとに海の恵みが口いっぱいに広がる贅沢な味わいだった。

食べ終わる頃になると、地元の市場の人たちが次々と店にやってきた。観光客はほとんどが海鮮丼を注文していたが、市場の人たちは唐揚げ定食や焼き魚定食といった、素朴でボリュームのあるメニューを選んでいたのが印象的だった。「仕事後の一杯」という空気感が漂い、まるでこの場所が町の食堂としても愛されていることを物語っていた。

その後、少し市場の雰囲気を味わおうと周囲を歩いてみた。すでに競りは終わっていたが、**場内にはたくさんの鳥たちが集まってきていた。**カモメやカラスのような鳥たちが市場の入り口や軒先、時には建物の中にまで入り込み、どこか期待するような目で人の動きを見つめていた。

**まるで市場の終わりを知っていて、何か残り物を分けてもらえるのを待っているかのようだった。**観光地としてのにぎわいの裏で、港町の自然な営みを垣間見た気がして、これもまた忘れがたい風景のひとつとなった。

その後、近くのガソリンスタンドでガソリンを補給し、奥飛騨方面へと車を走らせた。天気はすっきりと晴れていて、視界も良好。道中、遠くに立山の方角に連なる山々がくっきりと見え、山肌にはまだ雪がしっかりと残っていた。

その美しい雪山の景色を横目に見ながら、車は奥飛騨の山深いエリアへと少しずつ進んでいった。

第5章:癒しと余韻——平湯から下呂を巡って帰路へ

奥飛騨の山々を縫うように走る道を進んでいくと、標高が上がるごとに空気がひんやりとし、6月とはいえ、山の高い場所にはまだ冬の名残が残っているようだった。遠くに見える山の稜線は、頂上付近に雪を抱き、青空にくっきりと映えていた。

車はやがて平湯温泉に到着した。ここは飛騨の玄関口ともいえる場所で、標高約1,200メートルに位置する山あいの温泉地だ。湯けむりが立ちのぼる小さな集落のような街並みは、新緑に包まれ、清々しい初夏の雰囲気を漂わせていた。

訪れたのは「平湯の湯」。茅葺き屋根の露天風呂が特徴の共同浴場で、周囲の風景との一体感が魅力の場所だ。木の扉を開けて脱衣所へ入り、湯気の立ち込める浴室へと足を進めると、外のひんやりとした空気とは対照的な温もりが全身を包み込んでくれる

露天風呂へ出ると、眼前には青々とした山々が広がっていた。

湯船は鉄分を多く含む茶褐色のお湯で、底が見えないほど濃く、湯面に光が反射して幻想的な雰囲気を作り出していた。この日は時間帯がよかったのか、露天風呂には他の客の姿がなく、まるで貸し切り状態。静かで贅沢なひとときを味わうことができた。

湯に浸かると、身体の芯から温まり、旅の疲れがすうっと溶けていくのを感じた。湯けむりの向こうに、そよぐ木々の緑が揺れている。それをぼんやりと見つめながら、ここまでの旅路を静かに振り返る。震災の傷跡や、復興の途中にある町、静かな港、そして立山連峰の美しい稜線——。

平湯温泉の湯は、そんな様々な想いを一度受け止め、そっと癒してくれるようだった。

湯上がりに外へ出ると、涼しい高原の風が頬をなでたが、不思議と寒くは感じなかった。心まで温まっていたのだろう。湯の余韻を味わいながら、次なる帰路の道筋を頭に描いていた。

その後、近くのビジターセンターに立ち寄り、お土産をいくつか購入した。地元の木工品や温泉まんじゅうなど、小さな品々を手に取りながら旅の終わりを実感した。

次に目指したのは高山市街。何度も訪れたことがある街なので、今回は特に観光が目的ではなかったが、人が少なければ写真を撮ろうと思って立ち寄った。

しかし、実際に到着してみると、想像以上に人出が多く、修学旅行生の団体や外国人観光客であふれていた。風情ある古い町並みを歩くのも難しく、写真を撮るのは早々に諦めて、次の目的地である下呂温泉方面へと車を走らせた

下呂温泉に到着したのは、お昼を少し過ぎた午後2時半から3時ごろだった。観光客の姿はまばらで、温泉街には落ち着いた空気が漂っていた

天気も良かったので、駐車場に車を止め、スマホを片手に町を散策することにした。川沿いの風景や足湯、古い旅館のたたずまいなどを写真に収めながら、ゆったりとした時間の流れを感じた。

その後、下道で伊賀市への帰路についた。ところが、ちょうどラッシュの時間帯に名古屋方面に差しかかってしまい、一般道は渋滞気味で、思っていた以上に時間がかかってしまった。

遠回りもしたし、観光もたっぷり味わったが、こうして一つの旅が終わる頃には、身体の疲れとともに、心の中に残る景色や出会いがじんわりと沁みてくるのを感じた。

旅のまとめ:走って、見て、感じた、能登と心の旅

一泊二日、下道で伊賀から能登を目指した今回の旅。決して長くはない時間だったが、心に残る風景、出会い、そして静かな感情の波が、今も胸に深く響いている。思い出せば、涙が出そうになる光景もあった。

目的は観光ではなく、震災の爪痕を自分の目で確かめること。ニュースや映像で知っていたはずの景色も、実際にその場に立つと、音や匂い、空気の重さがまるで違った。**ブルーシートに覆われた屋根、崩れた道路、傾いた電柱、そして仮設住宅に暮らす人々の姿。**そのどれもが、「復興はまだ途上にある」という現実を静かに物語っていた。

同時に、そこには**たしかに“暮らし”があった。**湯気の立つ温泉、黙々と働く市場の人々、コンビニの光の下で過ごす静かな夜。復旧工事の音の合間に聞こえる雑談や、地元の方の笑顔。それは決して悲しみに沈んだままの土地ではなく、「前を向いている能登」だった。

旅の後半では、平湯温泉や下呂温泉の湯に癒され、氷見の海鮮に舌鼓を打ち、奥飛騨の雪を抱いた山々に心を洗われた。自然の雄大さと、人の営みの強さが交錯する日本の風景を、改めて美しく、そして力強く感じる旅でもあった。

普段の忙しい日常の中で、つい見落としてしまいそうな「今あるものの尊さ」と「目に見えない傷の深さ」。それらを肌で感じ、心に刻むことができたこの旅は、まさに“意味のある時間”だったと思う。

もし、この記事を読んで「自分も行ってみようか」と思ったなら、それはきっと、あなたにとっても何か大きな気づきをもたらしてくれる旅になるはずだ。

走って、見て、感じて、癒された二日間。
そしてまた、日常へと静かに戻っていく。
でも、心には確かな変化と、消えない風景が残っている——そんな旅だった。

今回の総走行距離は約980km。車の運転が好きな人には、ぜひ一度このルートを走ってみてほしい。風景、道の変化、そしてその先にある現実が、きっと心に残る体験になるはずだ。